ユーミンの名曲『海を見ていた午後』にも登場するレストラン「ドルフィン」のちょうど向かいにある「根岸森林公園」。桜の時期の休日は、沢山の人が訪れる人気スポットとなっています。
桜だけにとどまらず、四季を通じて花が咲き乱れる憩いの公園。
梅が終わると桜、次々と季節の花が訪れる人々の目を絶えず楽しませてくれます。
「馬」とは切っても切れない歴史を持つ公園
というのも、この広大な敷地は元々競馬場として活用されていた土地でした。
道理で広いわけですね!
時は江戸時代末期まで遡ります。1859年に横浜が開港すると、外国人居留地が誕生し、異国の文化や様式が瞬く間に広がりました。
競馬もそのひとつで、イギリス発祥の上流階級の娯楽として人気だった競馬は横浜にもたらされ、開港から7年後の1866年には、ここ横浜根岸の小高い丘に我が国最初の本格的な洋式競馬場が誕生したのでした。
時代は明治へ。1880年に行われたレースの名は「Mikado's Vase Race」。
その名が示すように、優勝賞品は明治天皇から賜る「金銀銅象嵌銅製花瓶一対」。
なるほど、直訳すると「帝の花瓶杯」。
これが現在の「天皇賞」のルーツとなっています。
明治天皇は馬への関心も高く、馬術にも長けていたそうですから、熱心に洋式競馬を後押しされていたんですね。
東洋一と謳われた競馬場スタンド
旧根岸競馬場一等馬見所
1923年の関東大震災で競馬場が半壊してしまうと、1929年にアメリカ人建築家のJ・H・モーガン設計で鉄骨鉄筋コンクリート製の一等馬見所が建築されました。
地下一階、地上七階建の建物は、見る者を圧倒するような迫力に満ちています。
当時「東洋一」と謳われた一等馬見所の内部には貴賓室が設けられ、鳳凰が描かれた華やかな格天井が異彩を放っていたそうです。
残念ながら現在は立入禁止となっている旧一等馬見所の内部がそんなに豪華だなんて、是非とも見学してみたいものですね。
野良猫や鳥が出入りする蔦の絡まる旧一等馬見所。「天空の城ラピュタ」の空中庭園を思わせるような外観。
競馬人気が高まり、入場者が増えると1930年には二等馬見所が建築されました。
当時の記録を紐解くと、興味深い面が見えてきます。
一等と二等の大きな違いは入場料。
二等馬見所は2円、一等馬見所は5円。 現在のお金に換算すると、二等はおよそ5,000円で、一等は12,500円。当時とらやの羊羹が2円ほどだったので、富裕層の娯楽だったということがよくわかりますね。
そして一等馬見所は和装・洋装を問わず「正装」で入場することが義務付けられていました。
遠くは富士山、港を見渡すことが出来た根岸競馬場は、第二次世界大戦が勃発すると立地の重要性から海軍に接収され、競馬場としての76年間の歴史を閉じました。
現在は「近代化産業遺産」として認定されており、所有者である横浜市が今後の活用法を検討中とのことです。かつて栄華を誇った名建築物の内部を見学出来る日も近いかもしれませんね。
競馬場はなくなっても、馬がいる公園
旧根岸競馬場があった縁から、公園の一部は日本中央競馬会の所有となり、馬についての知識を普及するための施設「馬の博物館」(現在リニューアルのため休館中)が建設されました。
さらに「馬の博物館」に併設する「ポニーセンター」には、引退したサラブレッドや全国各地から集められた馬が飼われており、乗馬体験も出来るイベントが定期的に開催されています。
のんびりと馬場を散歩する馬を見ていると、ここが横浜であることを忘れてしまいます。
かつて根岸森林公園が競馬場だった面影は、蔦の絡まる旧一等馬見所と、ここポニーセンターの馬たちからも感じることが出来ます。
桜並木がある場所は、旧根岸競馬場の馬場だったところ。
満開の桜の下を歩いていると、名馬たちが轟音をあげて掛け抜けていく様子がふと頭の中に浮かんできました。
そんな残像が過ぎ去ると、それとは対照的に、ポニーセンターの馬場を散歩していたあの馬と同じような、ゆっくりとした穏やかな時が流れていくのを感じたのでした。
また季節が変わったら、あの馬に会いに行こう。
自分だけの目標が出来た気がして嬉しくなった、そんな春です。